学ぶということ

学ぶという行為について知人と話していて賛同を得られたのでここに少し記す.

何を学ぶにしても順序というものがあり,その順序に従って学ばなければ本当の理解は得られないというのは広く知られている.しかし,どういう順序で学べばよいのかを知っているのは,既にその学問を修めた人間だけであるから,初学者は何らかの形で師に教わる必要がある,というのが私の考えの根幹である.

(特に私独自の考えを展開するわけではなく,今まで自分が触れてきた考えをまとめているだけなので,こんな記事は見飽きたという方がいたら申し訳ない)

学ぶ順序を知らないことによる弊害は,数学のような積み重ねの学問において非常に顕著に現れる.たとえば大学数学に興味を持った高校生が何も知らずに本屋に行ったとする.代数学解析学数学基礎論ガロア理論多様体論,圏論,様々な分野の本が並んでいる中で,最初に学ぶべきもの(他の分野の基礎となっており前提知識が必要でないもの)を引き当てることは難しいだろう.特に興味を持ったきっかけが例えば「リーマン予想についてのテレビ番組を見た」というものだったりしたら,まずタイトルにリーマン予想という単語が含まれている本から探そうとするのも仕方ない.リーマン予想について一般人向けに分かりやすく説明した書籍もあるだろうが,そういうものを読んでも結局内容を「ざっくりと知る」だけであって「理解を得る」ことは当然できない*1.かと言ってちゃんとした専門書を買っても,要求される前提知識が高すぎて何も理解することができない.誰もが一度は経験する失敗である.

面白いのは,間違った学習法で生半可な知識を得た素人と,大学などで講義を受けた玄人が会話したときに,素人の浅はかさがいとも簡単に露呈してしまうことである.そしてこのような会話は,前者の態度によっては後者を非常に苛立たせる.特に「色々なことに興味を持って楽しく学ぶだけで良い結果が得られる」という甘い考えを信じている者は相手の苛立ちに気付きにくい.

さてここで独学には大きな障害があることが分かる.自分の学習を自分で管理するため,やりたくないこと,あるいはやる必要が無いと判断したことはやらなくてよい.その結果抜けている部分が生じてしまい,特に基礎が疎かになりやすい.どのようなやり方で学べば理解を得られるのか知らない以上これは仕方ないことである.

しかしここまでのことを知っていれば話は別である.いきなり学びたい内容に手を付けるのではなく,その前にまず「学ぶ順序」から知ろうとすることは可能である.例えば数学ならば,これまでに同じような失敗をした人が多くいるからだろうか,Google検索をかければ学ぶ順序について書いてあるブログ記事などがいくつか見つかる.またSNSなどで上級者に聞くこともできる(ここでも態度に気を付ける必要がある).このようにして得た「学び方」に従えば,少しは独学の限界を引き上げることができるだろう*2.個人的な意見としては,書籍は最初から最後までの内容が連続しているためインターネット上に散在する記事よりも学習に適していると思う.

私は,数度の挫折を経てここまでの内容を悟るまでに長い時間がかかった.みな,長い時間をかけて理想の学び方を探してゆくのだろう.この記事がそんな誰かの助けになれば幸いである.

*1:最悪のパターンは,ざっくりと知った知識をもとに,明後日の方向に独自の考えを展開し始めることである.「菅数論」をご存知だろうか……

*2:もちろんこれができない学問もある.例えば文献の少ない古代言語を順序立てて学習するのは難しいだろうから,右も左も分からないまま茨の道を歩くことになる.え,そういうのが好き?ぼくも好き