謎の書きかけ小説メモ

私は既にもう何時間も砂漠を歩き続けていた。足元をかさかさと歩く虫のような虚数や,時折生えている枯れそうな行列にももう慣れた。ずっと前にオアシスで汲んだ集合が水筒の中にあと少し残っていたはず…背負ったリュックを地面に下ろして開くと,関数に吹かれて飛んできた変数がリュックの中に入り込んだ。水筒の中身はあと僅かだった。集合…包含関係…平面図示,境界含む,含まない…。集合を節約しつつ一通りの証明を終え,私は一時的に喉を満たした。

私が迷い込んでしまったこの世界は,なにもかもが数学らしい。間違いのないように一つ一つ証明を確かめながら行動しないといけないため,何をするにも頭が疲れてしまう。というか私はもう気が狂いそうだ。だから一刻も早くこの世界から抜け出すために,私は今歩いているのだ。

私は歩き続けた…そして遂に,この世界の出口に繋がっているとされる巨塔,自然数にたどり着いたのだった。

私は自然数の入り口の前に立った。地面と同じ高さに1階があり,任意の階の上に「上の階」がある。2つの階が異なるならば,その「上の階」も異なる。1階の上には2階,2階の上には3階があり,それが永遠に続いていた。自然数は高く,上の方は当然雲に隠れて見えないのだが,近くで見ると意外と横にも大きかった。高さ加算無限の塔を支えるのだから当然だろう。

私は乗法単位元の定義を確認した上で,石の扉をゆっくりと開けた。

1階。ずっと一人で砂漠を彷徨っていた私は,そこに人がいるのに驚いた。壁にもたれかかって煙草をふかしていた,もう何日も風呂に入っていなさそうな男たちが,そろって私を見た。

「あんた,どこから来た」

「ええと,なんか迷い込んじゃって…気付いたらここに…」

「ふうん?」

彼らはそれ以上私に興味を示さなかった。

私は数1のもつ性質をおさらいしながら,薄暗い空間をまっすぐ進んでいった。任意の整数は1の倍数…即ち1を約数にもつ。1は素数ではない…1が素数だと定義しても何のメリットも得られないだろう,素因数分解の一意性が失われてしまうのが最大の欠点だろうか。1のa乗はaに関わらず1…aは整数,実数,複素数,いや今後どんな数学的概念を考えるとしても,そこに累乗という名の付いた演算を定義するならばおそらく1のa乗は1とするだろう。

しばらく歩き続けると,私の前に大きな壁が立ちはだかった。壁沿いに歩くと何かあるはずだ。右に行くか左に行くか少し迷ったが,どちらでも大して変わらないはずだと思い,右に行くことにした。そうして壁伝いにまたしばらく歩き,ついに壁の向こうに繋がるドアを見つけた。

ドアを開けると,その向こうにはまぶしい世界が広がっていた。老若男女たくさんの人々が楽しそうに笑って話していた。

「平方のmodをとるとさーww」

「あれ左辺は2の倍数じゃん?」

人種もさまざまだった。白人,黄色人,黒人が何の抵抗も無く語り合っていた。数学には国籍も人種も関係ない…平和な世界の一端が垣間見えた気がした。

そのとき,おいしそうないい匂いが漂ってきて,私はもう何日も集合しか口にしていないことに気付いた。空いていた近くの椅子に座って,テーブルの上の料理に伸ばした手が止まった…ええと,なんというか得体の知れないものだった。なんだコレ…累乗と割り算を含む式…が,整数となるような…組を全て求めよ…?私はその料理に全く手が付けられなかった。その横に添えてある小さな実だけでも食べようとして口に入れたがしかし…n以下でnと互いに素な正整数の個数…が,nと互いに素な正整数aの右肩に指数として乗っかっていて…nを法として1と合同…?全く,歯が立たなかった。何か他に,食べられそうなものは無いか…。辺りを見回しても,どのテーブルに置いてある料理も見たことの無いものばかり。私がおろおろしていると,一人の女性がやってきて私がさっき食べようとした固い実を手にとり,

「ん,たまにこの味が懐かしくなるのよねー」

そう言っておいしそうにかみ砕いた。私の唖然とした視線に気付いた彼女に

「どうしたの?」

と尋ねられ,私はしどろもどろになりながらやっと答えた。

「あ,あの…今のそれ,どうやって…ったんですか…?」

「ん,今のって…ああ,ファイ関数のやつ?」

「ファイ…関数…」

n以下でnと互いに素な正整数の個数…何に使うんだかよく分からないようなその関数には,ファイという名が付いていた。

「あなたここに来たばかりなのね。いいわ,教えてあげる。オイラーの定理と言う重要な定理よ」

定理1. (オイラーの定理)

nとaを互いに素な正の整数とするとき, a^φ(n)≡1 (mod n) (ただしφ(n)はn以下でnと互いに素な正整数の個数)が成り立つ。