思考と言語

この記事は完全に僕の独自の考えであり,決して学術的なものではないということを最初に断っておきます。この内容は安易に信じないでください。

 

まず,一つの事例を見てみましょう。

一家の息子であるTさんは,普段から自然に人の求めていることを察知できる人間でした。ある日来客があり,Tさんは客人に対して数々の自然な気配りをしました。客人が帰った後,母親はTさんに対して「Tは気配り上手ね」と言いました。すると次の日から,Tさんは人に対する気配りの仕方が分からず,逆に人に迷惑をかけるようになってしまいました。一体どうしたのでしょう。

 

この事例には,言語と思考の関係が顕著に表れています。言語と思考の関係について見ていきましょう。

 

まず,言語が無い状態で思考はできるでしょうか。これに関しては野矢茂樹さん他たくさんの研究者が研究しています。結論から言うと,言語が無いと論理的思考はできません。なぜかというと,言語が無いと,現実にないことを仮定することができないからです。仮定ができないと,未来を見通すこともできないし,後悔も生まれない。つまり言語は高等な思考に必須だということです。

では,実際の思考において言語はどのような役割を果たしているのか。

簡単に言うと,言語とは「今と過去を結びつける」ものです。今起こっている出来事を言語で表して,過去起こった同じような出来事と結び付ける。それを繰り返して,思考というものは成り立っています。逆に言うと,言語を使っている限り,思考は「過去に縛られている」ということです。過去に無かったものを新しく考え出すことは容易ではありません。むしろ,言語を以て何かを考えるときには必ず過去に考えたこと,感じたことと照らし合わせながら考えているのです。

また,言語で表現することによって,思考を外側から観測することと記憶・記録することが可能になります。メタ認知は言語で表現してから生じるものです。

ここまでは多くの人が常識と捉えているでしょう。

 

問題は,「思考を言語で表現する」ことはできても,「言語で表現された通りに思考する」ことはできないということです。「思考→言語」の変換は不可逆であり,「言語→思考」の変換ができません。

ある思考を一度言語化して観測すると,その観測した記憶が残っている限り,その思考を再現することはできません。観測した記憶を思考の記憶よりも先に思い出してしまい,思考の記憶から思考を再現する余地を失うからです。これが,最初のTさんの事例で起こっていたことです。

 

この現象を防ぐことは,残念ながらできません。では,起こってしまったときにはどうすればいいのか。

かつての自分の思考がどんなものであったかを,少しずつ思い出していくより他はありません。無理に思い出そうとしてはいけません。あまり悩まずに過ごしていれば,そのうちふっと思い出すときが来るかもしれません。ただその時を待つのみです。

 

この記事はここで終わりです。読んで下さってありがとうございました。